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天台真盛宗総本山戒光山兼法 西教寺

西教寺

西教寺

西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市坂本にある天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山の寺院。山号は戒光山。本尊は阿弥陀如来。
 開基(創立者)は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えた。寺名は詳しくは兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)という。
 比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置する。 
 付近には比叡山の鎮守である日吉大社などがあります。
 西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いと言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有する。
 2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定されました。

西教寺のカタログ

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明智光秀一族の菩提寺

明智光秀一族の菩提寺
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織田信長が元亀2年(1571)9月、坂本、比叡山を中心に近江の国の寺院をはじめ大半を焼き討ちした。
 西教寺も全山類焼の厄に遭った。
 その後、再興に尽力したのは信長の将、明智光秀で、浜坂本に坂本城を築城、坂本城主として坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裡)を増築、刻名入りの棟木も現存している。
 また天正2年(1574)仮本堂を完成し、現在の本尊(阿弥陀如来)を迎えている。
 それ以来、光秀との由縁はふかく、元亀4年(1573)2月、光秀が堅田城に拠った本願寺光佐を討った時、戦死者18名の菩提のため、武者、中間のへだてなく供養米を寄進したと言われている。
 また早逝した内室(煕子)の供養もされ、墓が安置されている。
 天正10年(1582)本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れて非業の最期をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと言われている。のちに坂本城の城門の一つも当寺に移されたと伝えられている。

店舗情報

店舗名 西教寺
住所 520-0113
大津市坂本5丁目13番1号
電話番号 077-578-0013
メールアドレス info@saikyoji.org
ホームページ http://www.saikyoji.org/
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