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敦賀市武田耕雲斎等墓
武田耕雲斎等墓
水戸・天狗党の武田耕雲斎ら水戸浪士達は、京都に上り一橋慶喜を通じて朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えること目的として水戸から中山道を進軍した。元治元年(1864)10月、武田耕雲斎らが上洛する途中越前にはいったが、12月木の芽峠を越え敦賀・新保宿で大雪にあい、また、幕府軍に囲まれついに捕われた。翌慶応元年2月武田耕雲斎をはじめ藤田小四郎らが斬罪や死罪に処せられた。斬首された当時の刑場で、遺体の埋められた松原・来迎寺野が史跡指定地となっている。墓碑は小高い塚の上に建てられ、石柵に囲まれている。
武田耕雲斎等墓のカタログ
水戸烈士
明治維新を目前にして処刑場の露と消えた水戸烈士たち
1864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられました。幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺(松原)で353人が処刑されました。国史跡である「武田耕雲斎等の墓」は彼らが処刑後に埋葬された墓所です。道路をはさむ松原神社境内には、一行が監禁されたニシン蔵が記念館として残っています。
店舗情報
店舗名 | 武田耕雲斎等墓 |
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住所 | - 敦賀市2丁目9 |
電話番号 | 0770-22-8168 |
地図 |