常高寺
常高寺は、寛永7年(1630) 常高院栄昌尼が夫の京極高次の死後京都妙心寺の槐堂和尚を招いて開祖とし、栖雲寺を移転させた跡地に常高寺を創建しました。
常高院栄昌尼は、お市の方と浅井長政の3姉妹の次女として生まれ、寛永10年(1633)江戸で亡くなりましたがが、その後侍女たちと共に常高寺に葬られました。
現存する常高院の貴重な肖像画、自筆の消息、墓所の他、書院に遺るこの壁画が、往時の盛運を偲ばせています。
本堂は大正12年(1923)に焼亡、荒れた書院、庫裡などが残りましたが、昭和39年(1964)には山門の炎上もあって、まさに廃寺同然の荒れ寺となりました。
しかし、この間、由緒ある名刹復興の動きもあって、平成2年より再建事業が本格化し、平成13年に本堂が完成しました。
常高寺のカタログ
常高寺
戦国期の浅井三姉妹の話は有名だが、常高院はこの浅井三姉妹の次女お初のことである。
信長の妹お市と浅井長政との間にできた三姉妹で、長女は淀殿(秀吉の側室、秀頼生母)、三女はお江(徳川二代将軍秀忠室、三代将軍家光母、東福門院母)である。
2人に比べるとやや地味な感じは否めないが、浅井氏の主家にあたる京極家の嫡男京極高次に嫁した。
この間の経緯(浅井氏滅亡、お市の柴田勝家への再嫁、北ノ庄滅亡)は長くなるので省略するが、夫の京極高次は関ヶ原の合戦で徳川家康に与し、その功により若狭8万5千石を受領して小浜城主となった。常高院(お初)と小浜の関係はここからはじまる。
夫の高次は、それまでの後瀬山城を廃し、新たに小浜城を築城、また城下まち小浜の整備に取組んだが、小浜城の完成を見ることなく慶長14年に小浜城内で病没、お初は剃髪して以後常高院と称した。
店舗情報
店舗名 | 常高寺 |
---|---|
住所 | 917-0055 小浜市小浜浅間1番地 |
電話番号 | 0770-53-2327 |
ホームページ | http://wakasa.k-server.org/sig/jyoukouji.html |
地図 |